生まれなのになぜ持久走大会なのか?

息子が生まれて今日で11年。速いなあと感じる近年。
5年生になり、体も大きくなってきたし、少しずつだけど一本立ちというか、自己主張が激しくなったというか。
「母ちゃん大好き」に変わりはないらしいが、最近は「たまにうざい。」と言われたりもする。
順調に成長している事だから良い反面、何とも言えない寂しさもある。
母も子離れを徐々に動き出しなきゃなーと、趣味なんていうほどのものではないけど、ミシンを通してみた。
やってみると案外おかしい。旨い下手は抜きにして、布が形になったときの達成感は半端ない。
大げさなと想う人もいるだろうけど、私はそう覚えるのである。
達成感といえば、お年の今日、その主役は持久走大会です。
「何で俺のお年に持久走なんかやるん。お年だから休む。」そんな意味不明な事を口走りながら、
学校へ向かった。
息子の言わんとする事は分からなくも無い。ただでさえ運動が得意ではないのに、なぜに苦しい思いを通じて長い距離を走らなければならないのか。
そもそも持久走大会がなぜ受け取るのか?そういえば「走る意味が俺には分からん。」とも言っていた気がする。
こんなぶつぶつと文句を言ってた息子を応援しに行ってきた。結果は完走。順番は気にしない。怪我無く一生懸命走ったからよし!
私を見つけてほんの少しにやっと笑った息子。まだまだ眩しいぞ!
お年なのに持久走大会、よろしい思い出になったな。